
浜松市浜北区、宮口。
そこに構えるのは725年に創建されたという、由緒正しき臨済宗の寺・庚申寺。
その門前町の街並みの一角に、“花の舞酒造”はあります。
“花の舞”がここ浜北区にできたのは幕末、元治元年のこと。
当時“遠江国”と呼ばれていたこの地で、150年以上日本酒を造り続けています。
今回お話を伺ったのは、花の舞の名誉杜氏の土田一仁さん。
土田さん自身、幼少のころからこの地域で育ってきたとのこと。
その土田さんによると、この浜北の地は日本酒造りに
欠かせないものが揃っているそうです。

建てられたものだそう



日本酒造りの核となる素材は、大きく分けて水と米の2つ。
静岡の「水」
水は日本酒の成分であると同時に、酒母づくりや発酵など、
工程の中でも重要な役割を担います。
花の舞で使用しているのは、酒蔵の背後を流れてくる軟水。
この水は地層的につながっている赤石山系の南アルプスの伏流水であり、
地下100mから汲み上げています。
花の舞が使用しているのは、やわらかな、丸みのある味わいが特徴的な水です。
静岡の「米」
米は、静岡産の契約農家の米を100%使用。
“山田錦”…地元の契約農家の方が丹精込めて育て上げる“山田錦”。
酒造用の米の中でも最高峰といわれるブランドでもあります。
“誉富士”…“山田錦”を種子として、静岡県で初めてとなるオリジナルの品種です。
山田錦より米が溶けやすく、違った味わいを楽しむことができる酒造好適米です。
そして使う米はすべて、作っている農家の顔がわかるものだけだそうです。

数回に分けて仕込んでいく
収穫された米は花の舞に運ばれ、精米されます。
精米は膨大な量ですが、米を削る際にあまり早く削ってしまうと、
ひびが入ったり割れてしまうことに。この時点で、その米の特徴を把握して、
精米のパターンを変えていかなければなりません。
そうして精米された米は、袋に入れて数週間寝かせたあと、
洗米、そして浸漬(しんせき)の工程へ。米を蒸す前の、肝となる作業です。
ここで米を溶かしすぎると、酒粕が減り、花の舞らしい軽快な酒ができません。
その年の米の特徴や、気候、天候、温度、湿度……。
考えうるすべてを頭の中に叩き込み、
そして熟練の経験値と技で水切りのタイミングを決めます。
この一連の原料処理のきめ細かさが、
その年の酒の仕上がりを決める重要な要素となります。

舌がぴりぴりするフレッシュさ。ここからまろやかな味
になっていく
「いい米ができたなら、我々の仕事は原料処理。それが酒の決め手になる」
素材ありきなんです、と土田さん。
どんな水田で、どのようにして作られた米なのか。データ収集はもとより、
米農家の方とのコミュニケーションも重ねます。
米作りにも積極的にかかわることで、今年はどんな米なのか、
ということを把握しているのです。
収穫後は一つ一つの工程を丁寧に、そして蔵人たちとの連携も大切にしながら、
素材である米の潜在能力をその技術で引き出していきます。

こうしてできた花の舞のお酒は、全体としてすっきりと軽快な中にも、
うまみの感じられる飲み口が特徴です。
静岡は食材に恵まれた土地。
だからこそ、花の舞は素材の味を引き立たせるような酒を造り続けています。
それに加えて、楽しかった日、苦しかった日、お祭りのにぎやかな日、
友達が来た日。どんな料理にも、どんな日でも……
いろんなシーンで飲んでもらえるような酒を造りたい、
と土田さんは言います。だからこそ花の舞のお酒は、
酒自体が主張するような香りの強いお酒ではありません。
丸くてきれいで、飲み飽きない味わいに仕上がっているのです。

花の舞の毎年の製造量は7000石弱。静岡県で一番の製造量です。
静岡を中心として愛され続ける花の舞の酒ですが、
これからより多くの人に愛される、“日本人”にとっての花の舞になれば、
との思いがあります。
創業して150年以上。
それでもなお、毎年「最高」を目指して酒造りに取り組む。
浜松の北区には、そんな情熱を感じる酒蔵がありました。
「杜氏は酒を造って当たり前。間違っても自分の技術が良かったなんて思わないこと」
そう言い切る名誉杜氏からは、いい米を作ってくれる米農家への敬意、酒造りに対する謙虚な姿勢、そしてお客様への感謝の念がひしひしと感じ取れました。古来より伝わる日本酒造り。その真髄を垣間見た感覚でした。
Writer:ほた子